真に筒抜く ――書評:『永田和宏』

もう五年以上前のことだろうか。私が所属していた京大短歌会で「永田家は歌壇の磯野家である」ということを耳にしたことがある。歌人と短歌に囲まれた生活のなかで、互いの作品に登場し、生活の様子が筒抜けである様を「サザエさん」の磯…

歌に背丈を刻むとき

愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないと思う俵万智『サラダ記念日』 俵万智の短歌が登場する映画「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」(一九八八年)を観た。右の歌の作者という設定の女子大生が、「なんて歌手が歌って…

焦点距離を越えて ――磯江毅と柚木圭也

現代における写生について考えるにあたり、原点に立ち返ってみたい。正岡子規は文芸における「写実主義」と、絵画における「写生」から、短詩型に「写生」という言葉を持ち込んだ。子規は「写実」と「写生」を同じものとして扱っていたた…

歌による指名手配

私が京大短歌会の扉を叩いたのは大学五年生になってからであった。ただ、大学構内に貼られた新人募集のビラは、毎年のように、こっそりと一枚剥がしてコレクションにしていた。 ビラに書かれた歌の多くは会員の歌であり、どれも魅力的だ…