もう五年以上前のことだろうか。私が所属していた京大短歌会で「永田家は歌壇の磯野家である」ということを耳にしたことがある。歌人と短歌に囲まれた生活のなかで、互いの作品に登場し、生活の様子が筒抜けである様を「サザエさん」の磯野家に喩えたものであろう。なるほど、言いえて妙である。しかし同時に奇妙でもある。そんな感覚が拭い去れないでいた。
京大短歌会は、現在も大学公式サークルではない。それゆえ、部室がない。安くて長時間いることのできる歌会の場所を求めてさまよい、会誌の配送も在庫の管理もメンバーの下宿で行う。たしか公式サークルになるためには、担当教官の印の捺された申請書を三年連続で事務局に提出する必要があったと記憶する。担当教官はやはり永田和宏教授だろうと皆思ってはいたが、接点がなかったので一度も申請しなかったと思う。
「百万遍界隈」という場所を共にしつつ一度も擦れ違うことはないが、永田和宏の生活については皆詳しかった。先述の奇妙さは、このような点に拠るのだろうか。
本著は、若山牧水賞を受賞した歌人を追うシリーズの三作目である。インタビュー、対談、鼎談による永田和宏自身の発言を収録する一方で、充実した作家論によって客観性も保たれている。特に科学者の語る永田和宏論には興味が尽きない。
収められた永田和宏の年譜を辿ってみる。併せてこれまでの転居先の記録と照らし合わせてみる。すると、第一歌集『メビウスの地平』を上梓した二十八歳の頃、すでに妻子をもつ永田和宏が中野区に住んでいたことが分かる。その場所が、私の自宅から徒歩で行ける場所であることに驚いた。いや、その偶然性に驚いたのではない。百万遍界隈とは異なり、永田和宏という歌人の存在が、それこそ「地続き」だと感じられたことに驚いた。磯野家はこの世に存在したのである。
家族のために働き、第一歌集歌集をまとめつつ、第二歌集『黄金分割』に収められるであろう歌を詠み続け、翌年には将来の保証のない研究生活に戻ることを予感していたであろう中野区南台の森永乳業社宅に住む二十八歳の男――。何も言えなくなるではないか。
「歌壇の磯野家」の反対側に、いつも視聴者としての私が座っていた。相互に活写される家族の生活はどれだけ分かりやすくとも、永田和宏はブラウン管の平面に映し出された存在ではなかったか。「筒抜けである」ことを良いことに、「筒抜けなかった」物事の存在を探ろうとしてこなかったのではないか。
歌人とその歌に奥行きを与えるためには、読み手は視聴者的存在から重い腰をあげなければならない。その手助けとして本著がある。
この一冊に、真の意味で永田和宏が筒抜けている。
初出:青磁社通信 第22号(2010年) シリーズ牧水賞の歌人たち Vol.3『永田和宏』評