ひとつの旅を――特集:憲法とわたし

十年ほど前、勤めていた会社に関連した旅行会社に出向したことがある。インターネットでの航空券予約システムの開発・運営に携わるなかで、旅行業界で働く人々が非常に多くの国を訪れていることに気がついた。旅行好きが昂じてこの業界を選んだ人が多いのだから、当然とも言える。しかし、一度も聞いたことのない国や島を旅する人々の話はどれも面白く、世界には様々な国や文化があるものだと、ただ驚くばかりであった。

社員が長期休暇中に海外を訪れて現地を実際に目で見ることが、仕事の役に立つと考えていたのだろう。会社がそれを促す雰囲気は、とても気持ちの良いものであった。

珍しい国への旅行や、変わったルートでの海外周遊を希望される人が「さんざん他社に断られて……」と相談の電話を寄せてこられたときには、「たしか、あの国にはあの人が最近行ったはず」と社内で部署を跨いで知恵を集める。多様な経験を持つ人が複雑に繋がり、システムでは算出できなかったひとつの答えが導かれる。その瞬間の表情は誰もが美しく、人よりも社会に出るのが遅かった私は多くを助けられつつ、働く意味を学んだのである。

私も毎年のように海外を一人であてもなく歩いた。極寒の地のアイスランドや、チベットの山奥のブータン、独自の動植物が育つマダガスカル、太平洋に沈みつつある小さな島国ツバル――できる限り人がいかないような国や場所を選ぶのは、元来の性格もあるが、旅行会社にいた影響が大きい。荷物はできるだけ少なくまとめ、現地では一般の交通機関を使いながら、目的もなくただ歩きまわる。

様々な国に訪れるなかで、どんな国であっても日本とのなんらかの繋がりがあることに気がついた。アイスランドの北部の小さな漁村の宿に滞在したときには、宿の主人に「こんなところを訪れるアジア人は日本人と決まっているよ」と言われ、近所の鯨料理の店を教えてくれた。ブータンでは、農業の近代化に尽くした西岡京治氏の話をよく聞かされた。もちろん、繋がりはひとつではなく、そして良いものばかりとは限らない。第二次世界大戦中にはマダガスカルにも日本兵の上陸記録があり、ツバルにも日本の戦闘機は爆弾を落とし、住民の命を奪ったと聞く。

その国と日本という国の歴史・文化的な繋がりの上に、自らが訪れたという個人的な繋がりができる。短い期間を旅して分かることは限られている。しかし、日本に帰ってきた後にも、例えばアイスランドの通貨危機や、マダガスカルでの蝗害発生などのニュースを見聞きするたびに、胸が締め付けられる思いがした。自らとは全く異なる遠いものとたしかに繋がっており、そこから流れ込んで来るものもまた、自らを構成する一部であると感じる気持ちは大切にしたい。そして、その繋がりを介して、私自身は何を送り出せるだろうか、と思案する。きっと世界という球体は、様々な国や文化や民族や歴史の糸が、複雑に巻かれたひとつの毛糸玉のようなものなのだ――いつしかそう考えるようになった。

憲法についてどのように考えるかには、当然多様な考えがあるべきであり、そのためには煽動や脅嚇のない、真摯な説明と議論を幾重にも織りなすことが必要だろう。多様性も、異なる意見を持つ者同士の繋がりもないままに、どこへ行けると言うのだろうか。

文学や芸術が、世界に果たす役割はふたつあると感じる。多様であることを促進すること、そして、多様であるもの同士にたしかな繋がりを生むことである。短歌について言うならば、どの一首も、読み手にひとつの旅をもたらすものでありたい。

 

初出:「新日本歌人」 2017年7月号
特集:憲法とわたし