「チエホフ祭」のエピグラフ「青い種子は太陽のなかにある ジュリアン・ソレル」がスタンダールの『赤と黒』からの引用ではなく、寺山によるまったくの創作であったことは広く知られている。「寺山修司論序説―万引騎手流離譚―」(堂本正樹・『藝能』一九八三年六月号)において「ジュリアン・ソレル」という七音まで含めて「山頭火風の「句」だというのである。……唖然とした。」と明かされた箇所を読んだ衝撃は、今もって忘れがたい。
応募作品「父還せ」の時点では「青い種子は太陽の中にある ソレル」であったものが、『われに五月を』では連作「森番」に入り、最終的に「チエホフ祭」に戻る。箴言集『ポケットに名言を』にもちゃっかり収められていることから、その拘りが窺える。他者作品からの過度の引用(と言っておこう)が話題になった寺山において、引用ではなかったことが話題となる点が面白い。
そのジュリアン・ソレルが、新たに発見された手紙(『短歌研究』二〇一七年四月号 P.69/内容から考えて手紙自体は昭和三〇年のものと思われる)にも登場している。
ジュリアン・ソレルの「まったく、おれには取柄がない」。然り。
全く僕には取柄がないように思えてきました。
――果たして、ソレルは「取柄がない」と言ったのか。
岩波文庫版『赤と黒』(桑原武夫・生島遼一訳)で言えば、おそらくは第二部十九章の「(そして実際、おれは全くつまらぬ男に違いない)と呟いたジュリアンは、かたくそう思いこんでいたのだ。」の箇所が相当するのだろう(原文では”Et en effet, j’en ai bien peu! se disait Julien avec pleine conviction;”)。今回は創作ではなく引用であったことに驚かされる。もっとも、同箇所に始まる段落は「こうした錯誤はすぐれた人物によくあるものだ。」という一文に終わる。寺山がその点まで踏まえていたかは、分からない。それでも彼は、類まれな才能で多くの人を魅了し、古い体制の中でのし上がろうとしたジュリアン・ソレルそのものであった。
太陽のなかに蒔きゆく種子のごとくしずかにわれら頬燃ゆるとき
『寺山修司全歌集』(講談社学術文庫)「初期歌篇」の連作「夏美の歌」より
初出:「短歌研究」 2017年6月号
特集:「寺山修司の手紙」を読む 寺山修司の気になる一首