私が京大短歌会の扉を叩いたのは大学五年生になってからであった。ただ、大学構内に貼られた新人募集のビラは、毎年のように、こっそりと一枚剥がしてコレクションにしていた。
ビラに書かれた歌の多くは会員の歌であり、どれも魅力的だった。例えば次のような歌。
鳥がいたような気がした英訳が進行してゆく行のあいだに 西之原一貴
永遠とも思われた学生時代を象徴するような歌で、幾許かの感傷を伴いつつ、今でも諳んじることができる。
短歌会に入会し、今度は私がビラを作る側となったとき、先輩にあたる歌人の歌集に次の歌を見つけて、思わず嬉しくなったことがあった。
ビラを繰る指に指紋のうかびつつ寺山の顔ベタ面ばかり 永田紅『日輪』
短歌に興味を持ってくれる学生は少なく、毎年、新人獲得には苦労した。ただ、たくさんの会員が欲しかったわけではない。
どの年のどのビラにも歌を添え、「この歌にピンときたら連絡して欲しい」という願いを込めていた。ある意味で、指名手配の張り紙に近い。
歌を媒介として、人が人を呼ぶことのすばらしさ。歌を詠むのに疲れたとき、そのことを思う。
私の歌も、いつか誰かを呼びよせるのだろうか。それが百年のちのたった一人であったとしても、嬉しく思う。
初出:梧葉出版 第30号(2011年夏号) 短歌礼讃
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