聖域をめぐって ――大井学『サンクチュアリ』歌集評

既に優れた評論書『浜田到――歌と詩の生涯』をもつ歌人の、十九年をまとめた翹望の第一歌集。

オデュッセウスの帰還のように雑踏を蹴散らしすすむきみの胸まで
一本の樹から仏を彫りいだす煩悩よわが煩悩が観る

東西の古典・哲学思想が、連作や歌集全体を引き締める留め金として輝く。ときに豪たる英雄が、ときに煩悩を認める内省の者であるのが楽しい。

一方で組織の管理者としての歌も目を惹く。

部下全員分のシャチハタ印を押すつるつるの紙「コンプライアンス宣誓」
辞表を出す部下の伏目を見ておりぬ「驚く上司」という役目にて

ビジネスマンとして賢く強かに求められた役割を演じきる姿の裏に、そうしなければ排除される側になる社会の闇が滲む。

原発事故による居住制限区域や、特定秘密保護法についての歌も多いこの一冊に、聖域を意味する「サンクチュアリ」という題がつけられたことを改めて考える。

ある日突然住めなくなった場所、一方的に隠される情報。それは、形骸化したコンプライアンス活動で身を鎧い、適さない者を排除する企業体と同じ線上にある。閉じられた扉ばかりの世の中で、人はいかに自身の聖域を見つけて守り抜くのか。

主役である必要はなし そうめんの葱の辛さを恋おしみており

無論それもいい。ただ私には、プロメテウスのように一切の扉を蹴破って火を渡すべきときが来るようにも思えるのだ。

「開くため」あるとう我に「閉ざすため」あるというきみ 扉について

 

初出:「うた新聞」 2016年11月号