6月の、それも28日 ――『終戦50年沖縄合同歌集 黄金森』

冒頭緒言の後にいくつかの写真が収められている。県短歌大会や出版記念会の緊張した面持ちが並ぶ集合写真の中には、懇親会の様子であろうカチャーシーを踊る姿も見受けられるが、このような構成自体は合同歌集の定番と言える。ただひとつ、一枚目の写真だけが星条旗を掲げた米軍の写真であることを除けば。

説明には「1945年6月28日、米軍摩文仁を占領」とのみ書かれている。6月という記述に、〈夏休み〉の始まっていない月だ――と心が動いた。そして、23日でないことにも気付いた。沖縄戦が終わったとされる6月23日は、現在では「慰霊の日」として県の休日条例に記された日となっている。実際には組織的戦闘が終わった日にすぎず、その後も各所で戦闘が続いたことを写真は物語り、日付にどのような意味があるのかを問い続けている。

159名による、多くが戦争を振り返るエッセイと3180首を読み進めながら、気になった箇所と歌に付箋を貼る。私は半ば無意識に、戦前・戦中生まれと戦後生まれとで、沖縄出身で現在も沖縄にすむ歌人とそうでない者とで、付箋の色を分けていた。そのことが、急に恐ろしくなった。

この合同歌集を代表する一首を探して引用しなければならない――と考えていた。それには、沖縄で生まれ沖縄戦を経験し、いまでも沖縄で暮らす人の歌であるべきだと思い込んでいた。その根底にあるのは、課せられた図書を読んだ証拠を忘れずに提示し、この〈夏休みの宿題〉で優を得るためのずる賢さそのものであり、恥ずかしくなった。

一冊を凝縮したような一首を、先の戦争を三十一音で語りおおせる一首を、と安直に求める思考と、先の戦争を終戦を迎えた八月に代表させること、そして戦後を例えば50年目、70年目と単なる数字の並びで振り返ることに、どれほどの差があるのだろうか。

この国が再び戦争を招いたとき、人は「毎年8月とキリの良い年ごとに振り返ってきた〈のに〉」と感じるか、それとも、そうしてきた〈から〉と感じるか。答えを知りたくはない問いを抱きつつ、巻末資料までを胸熱く読み通した。

沖縄県歌人会による同シリーズは、時に合併号となりつつも今に続いている。その事実に私は確かな希望を見る。

 

初出:「現代短歌」 2016年9月号
特集:夏休みの宿題読後感想文
指定書籍:『終戦50年沖縄合同歌集 黄金森』