二〇一二年に私家版として出版された『そのなかに心臓をつくって住みなさい』に継ぐ第二歌集。書肆侃侃房の現代歌人シリーズ第十巻にあたる。
前歌集では、他の歌人の連作を下敷きにした歌や、散文に近い形式の作品など、短歌が暗黙的に持つ〈短歌らしさ〉の破壊願望が前面に出ていた。結果、受容と拒絶のどちらであれ短歌を深く知る人ほど反応が大きくなる歌集であり、その意味では短歌が蓄積してきたものを担保に掛けた一冊とも言えた。比べて本歌集は、短歌に新たな蓄積をもたらそうとする志向が強い。
雪もない宇宙のいない血のいない 場所でよいにおいにてやすらかに死ね
蜜蜂と花の道ゆくこの感じひとびとのち ん ぽかるくたつこの感じ
片脚でたつ虹ふたつ未来よりみにくいものを選びつつ立つ
孤独な死を迫る一方で、芳しい香りも与えてやる。春の道を歩く陽気さは性 器と結び付けるのがふさわしく、虹の美しさは、その根拠にみにくさを有さなければならない。このような清濁・美醜の混淆こそが完全たり得るとする信仰が根底にある。この信仰が日本語という言語そのものに向かうとき、次のような歌となる。
性格のト音記号は香りが沁みて遅れていくとリボンをほどいた
利き手と名づけておいた葡萄の最高裁をにぎりつぶした、まだ間に合うから
「性格のト音記号」や「葡萄の最高裁」は何かを比喩的に、あるいは象徴的に表しているのではなさそうだ。所謂、〈二物衝撃〉としての効果を企図したものでもなく、「リボン」や「利き手」という他の言葉たちも等距離に置かれている。日本語として考えにくい組み合わせのなかに、〈全物〉がフラットに接続され得る混沌が立ち現れる。一首単位では目眩ましのようであっても、読み進めるなかで感じ取れる独特のリズムと、言葉の表面を高速でかすめていく滑空感が心地よい。
巻末には「メイキング・オブ・エンジェル」と題された掌編小説が置かれている。後書きに代えたものと解せるが、瀬戸が鋭敏に感じ、具現したい世界が描かれている。瀬戸作品に初めて触れる者にとっては導入ともなろう。
対歌人兵器然とした前歌集から、言葉を刺激する一冊の詩集となった。
初出:角川「短歌」 2016年8月号