ルンルンと神さまと ――米川千嘉子『吹雪の水族館』歌集評

二〇一二年春から二〇一四年までの歌を収める著者第八歌集。あとがきにて前歌集を振り返りながら述べた「もう少し明るい可能性を考えていた」という言葉が重く響く一冊。

除染対象地域となれど街しづか神を説くためをんなまた来る

除染が決まっても何の反応も見えない街が、熱心な宗教勧誘を断るために開けるドアから垣間見える。

3・11以前のいのち一つづつ穴ゆ這ひ出で鳴き痺れたり

長く地中で成長する蝉を詠んだ一首も、本当に出てきたのは蝉なのか、と考えずにはいられない時代となった。大震災で奪われた命や、除染のために削る土が脳裏をよぎる。

ゆるキャラの集ひはただの着ぐるみ劇 海山も木も風も黙しぬ

時代の苦さはこんなところにも及ぶ。土地を宣伝する「ゆるキャラ」として狙い通りに造られた存在が、決して持ち得ぬ風土との繋がり。師である馬場あき子の「ゆるきやらの群るるをみれば暗き世の百鬼夜行のあはれ滲める」(「短歌」2013-9)に呼応した歌であろうが、鋭い切り捨てかたに米川の特徴がある。

ルンルンといふ語はいつに流行りしか若き教師のわれも言ひしか

言わなかっただろう、と一読微笑んでしまう歌である。この歌もまた別の意味で、米川らしさ(・・・・・)を持つ。しかし、言葉に出すようなことはなくとも人々がルンルンと感じるような時代はこの先来るのだろうか。

神さま、とつぶやいたこと二度ありぬ (くち)まで布団を持ちあげ思ふ

つぶやいたことが二度もあったのか、と驚かされる歌である。なんとも米川らしくない。しかし、もう二度と神を呼ぶことのない時代だと、誰も言い切れないはずだ。

吹雪の日水族館にわれら来てこころを持たぬ水母見てゐる

歌集の題に採られた、クラゲの展示で知られる山形の加茂水族館での一首。冷たい吹雪と漂うクラゲの印象からか、美しくもどこか熱的死を迎えた世界を思わせる。そのとき、人とクラゲの違いに、どのような意味もないのかもしれない。

 

初出:「歌壇」 2016年6月号