清潔で自然な優しさ ――川本千栄『樹雨降る』歌集評

四十代後半からの六年間を収めた第三歌集。師の喪失と震災、摘出手術の経験と子の成長など、公私にわたる大きな出来事が真正面から詠まれている。この姿勢は、既刊歌集含めて一貫したものだ。

永田和宏の泣くのを聞かずわが内の河野裕子を生きさせんため

自身を説き伏せるような説明口調に凛としたものを感じさせつつ、気を緩めればその死を受け入れてしまう脆さが滲む。

繰り返し再生される映像よ「もう一度見たい」人ある限り

先の震災を詠んだ一首。「もう一度見たい」という言葉の鍵括弧の内側に、自身も立っているのではないかという疑念が過ぎる。

〈公〉に向き合う二首を引いたが、結果として自らの内側を照らしだす清潔さがある。

川本の歌の特徴として、鋭い批評眼や批判精神があげられてきた。なるほどと頷く一方で、川本が優れた評論の書き手であることが、都合よく援用されているようにも感じる。こういう歌はどうだろう。

たおやかに詠む令夫人たちの中ほどに与謝野晶子の猛き不器量

読みくるる「みんなちがってみんないい」金子みすゞは自死したんだよ

「不器量」も「自死」も言わなくてもいい事実(・・・・・・・・・・)だろう。「晶子(の歌柄)は猛々しい」「金子は不幸な死を遂げた」と言葉を撓めることもヤサシサだ。川本はそれを批判しているわけではない。対象をまっすぐ見つめる、清潔で自然な優しさを感じたい。

このような優しさは〈私〉の面では、特に子を詠んだ歌に現れるようだ。

叱責をやめて久々に子を抱けばまだ柔らかしまだ間に合うか

サンタ役させてもらっていたのだと気づく日が来る 輝くツリー

一首目。一読して、どうか間に合って欲しいと強く祈ってしまう。前歌集の「叱ったあと抱きしめてやるということのこれで済むとは思わぬけれど」を添えると、一層の切迫性が感じられる。何に間に合えばいいのかは書かれていない。子が幼い頃にはあった絆の回復や、叱責の厳しさの取り消しだろうか。解釈を絞り込むよりも先に、読み手には愛情の深さが響く。二首目。子のためにプレゼントを用意してきたことも、子から与えられた特別な機会だったのだ。それを理解しつつも「気づく日が来る」と未来形の表現するとき、客観性よりも子育てのこれまでを懐かしむ優しさが際立つ。

ふよふよの赤児を抱きし日々もあり子供の若さは私の若さ

子が重ねた年齢と、自身も同じだけの歳を重ねた。第一歌集では「来ないでよ母さんだけが若くない お前に言われる日がきっと来る」と絶対的かつ鋭敏に意識されていた自身の年齢が、ここでは相対性をもって柔らかく描かれている。月日の流れの中で、川本作品には樹雨を滴らす枝葉のようにしなやかな歌が増えてきたように感じる。

人生は楽しむためにあるという一語を小さな錘となして

大きな出来事が重なりつつも、歌集を読み終えると〈出来事〉よりも〈心〉のほうが印象に残る。温もりの一冊である。

 

初出:「短歌往来」 2015年11月号