生業と死別 ――河野美砂子『ゼクエンツ』歌集評

二〇〇四年から二〇一〇年に発表された歌を収めた著者第二歌集。

世に仕事詠や職場詠は多いが、河野作品に刻まれる歌は〈生業詠〉と呼びたくなる。

企画書に予算書も添付提出すモーツァルトを弾くための金額

労働の対価としての金額が振り込まれたりモーツァルト弾きて

歌集を通して浮かび上がるのは、ピアニストという職業の特殊性ではない。弾くために生き、生きるために弾く。両者を結ぶ力に、モーツァルトや金銭があり、そこに河野特有の真摯な眼差しが注がれる。このような土台があるからこそ、歌に表現された触覚や聴覚に独自の濃度が生じる。

指ひえてわたしそびれたストラップ抽斗にしまふ次の春まで

一筋の雲のびてゐるひろがりに春の池あり響きとざして

「指」や「響き」は、単にピアニストにとってのそれに留まらない。生きるための道具として、指や耳を磨き続けた者が取り戻した感覚である。それゆえ、読み手の根源を震わせる鋭さがある。

歌集後半では、家族の看病と母親の喪失が大きなテーマとなっている。

骨の名をいくつも覚えこの春が過ぎてゆくなり父母の病む春

枝みたいでわれ怖かりきさしのべた腕ごと母がよりかかり来し

親の病がなければ触れることのなかった知識や、看病の中で真向かう感情に、やはり河野の真摯な眼差しの存在が感じられる。生業と死別。方向の異なるベクトルの衝突が高い波を生む一冊である。

窓あけはなちロンド二曲と複数の緩徐楽章弾けり読経に代へて

 

初出:「うた新聞」 2015年11月号