骨格を問う ――特集:短歌賞を考える

四年ほど前、座談会収録のために本郷にあった角川ビルを訪れた。収録には「短歌」編集長を退かれてまもない杉岡中氏も同席された。収録の合間に、私はほんの興味で、角川では短歌評論の新人賞は用意されないのか、ということを聞いてみた。氏は悩むような表情で、難しいねと言い、こう付け足された。

「――食わせてやることができないから」

正直に言えば、最初に感じたのは軽い反発であった。短歌新人賞でも食っていけないではないか。歌集賞でも、賞金では出版費用を賄うこともできないではないか。しかし、そういうことではないなと直感した。この言葉は、評論の必要性や賞の在り方のような表層的なことではなく、短歌の世界の深部を考える大切な鍵になる。この瞬間だけは忘れるな、と私は強く念じた。

数ある賞の中から、歌集に与えられる賞(歌集賞)と、角川短歌賞などの短歌新人賞について考えたい。

短歌研究社「短歌年鑑」(2014)所収の「短歌関連各賞受賞者一覧」で歌集賞を確認すると、15名に21賞(該当なし、次席、日本歌人クラブ大賞は除く)が与えられていた。主に第一歌集を対象とした賞も、ベテラン層を対象とした賞もある。また、功績と合わせて与えられる賞もある。年間刊行歌集数が約450冊だとして、30冊に1冊が1.4賞ずつ受けたという計算になる。都道府県の歌人会や短歌関連団体が地方別に設ける歌集賞など、一覧に未掲載のものある。しかし、歌集賞の数の多さ自体は問題ではない。対象とする範囲や視点が異なるならば、それは短歌の多様性そのものである。残念だが私には、受賞が重なった事実すぐれた歌集が、各々異なる切り口の賞を受けたようには見えない。

鑑識眼のある選考委員を立てれば、すぐれた歌集は選ばれる。重なることもあれば、異なることも当然ある。そこに疑問はない。問われるべきは、賞を用意したその存在ではないか。なぜこうも〈当該年度に発行された最もすぐれた歌集〉を表彰しようとする団体・組織が多いのだろう。

21もの賞とその受賞歌集の対応を、私は覚えられない。賞が多いからではない。賞を設けた意図を含めて、主催団体の存在の違いが、伝わってこないからである。

また、現状の歌集刊行事情と流通構造が変わらないことには、賞を得た歌集を広い読者が手にするのは難しい。結果、歌集はおきざりに〈何かおおきな賞を得た歌人〉だけが、計算上毎月一人は誕生し続けている。

次に、短歌新人賞について。近年、同人誌やSNSのプロフィール欄に、新人賞の選考結果が記されているのをよく見るようになった。受賞・次席の記載は従来よりあったが、「連作Aが予選通過」「連作Bが候補作に」なども多い。若手における新人賞応募や創作活動の活発化と、彼らがインターネットや歌会の場を通して広い繋がりを持っているためだと考える。ネットが「フラット」な場であることは確かだが、それは誰もが等しい場で等しく情報を発信できることにおいてである。逆説的に、各々が他人とどう違うのかという情報に意味が生じ、興味が集まりやすい場とも言える。

新人賞応募月や発表月のネットにおける雰囲気は、どこか大学入試センター試験のそれに近い。真面目に取り組むのは良いが、傾向と対策にとらわれることや、試験の結果が将来を左右するかのような思い込みは怖い。いずれにせよ、ネットでは短歌新人賞の選考でどこまで進んだかが、ある種の肩章として機能している面がある。ここでも、作品それ自体は抜け落ちる。

名もなき組織が立ち上げた名もなき賞という〈骨〉に、果敢に挑んだ作品の〈筋肉〉が張る。両者は相補完的に成長を促し合い、短歌の世界を押し拡げる。あるべき姿だ。しかし、内骨格であったはずの賞が前面に出て作品を覆い隠すとき――つまり、賞が外骨格化するとどうなるか。作品という筋肉の成長は自ずと限界を迎え、短歌の世界は息苦しく閉じた存在となる。

賞について語るとき、私たちは同時に、賞を越えた何かを語っている。杉岡氏の言葉を思い出すとき、この頃は苦しそうな表情ばかりが強調されて浮かぶ。

 

初出:角川「短歌」 2015年6月号 特集:短歌賞を考える