雨、うすきテントを叩く外部とは徹底的に外部であった
中澤系『uta0001.txt』
硬貨の絵柄は海の生物
雨がシングルクリックとなるまでを待つ5クローネを指で跳ねあげ
光森裕樹『鈴を産むひばり』
雨の歌として思い出されるものは多いが、中澤系による掲出歌は学生時代から記憶の中にあった。雨の日にテントの下にいるという場面を描けばよいだろうか。テントは、運動会や露天商に使われるようなものを想像した。大抵ワンルームサイズであるテントは、パーソナルな空間として調度よい大きさに思える。それゆえ、「徹底的」な「外部」への意識が際立つ一首だ。雨がテントを破る可能性はあっても、自らテントを出てゆく可能性は感じられない。どちらにせよ雨に濡れるのだとしても。
雨に濡れることをどう感じるかは、国や文化によって大きく異なるようだ。雨が多くて湿度も高い日本にあっては、少しでも濡れたくないものだが、家族それぞれに一本以上の傘があるような国は、むしろ珍しいのかもしれない。ちょっと出歩くぐらいなら濡れても構わない。そんな感覚のほうが普通なのだろうか。
十月のアイスランドを旅した際の連作に、雨の歌があった。北の地にあって、しかし年中雪が降るわけではない。ただ、ひどく寒くて曇り続きだった。特に目的もなく、ローカルバスに乗って北部の町を目指した。
辿り着いたのは、フィヨルドの湾に面した静かな町だった。こんなところにひとりで来る東洋人は日本人ぐらいだよ、ということを宿や喫茶店で言われた。そう簡単に区別がつくものなのか分からないが、今思うと折りたたみ傘をリュックに吊り提げて歩いていた。そんなことも、出身を当てるヒントだったのかもしれない。
湾内を鯨の親子がゆっくりと泳いでいた。クローネ硬貨は蟹や魚の絵柄で統一されていたが、イルカはあっても鯨はなかったように思う。しばらく滞在するうちに、傘はトランクの中に置きっぱなしになった。強い雨ならば店の軒下でやりすごし、ちょっとした雨ならばその中を――そう、徹底的な外部を、疲れるまで歩いた。
初出:「歌壇」 2015年6月号 特集:雨の歌