角川短歌賞には三度応募した。予選通過・次席・受賞と一段ずつにじり寄った形と言えるが、寡作であるため数年おきの応募だった。結果を確認するたびに退路を断たれるような気分になったけれど、以降も歌集をまとめる際など、何をしても同じ気持ちになった。きっと、そんな風に考えやすい性格なのだろう。
「応募に必要な歌数の倍を詠み、そこから絞り込む」といった方法や体験談を見聞きしたことがあったが、歌数の少ない私には、到底できないと思った。たとえ賞のためになんとか倍の数を詠んだとして、それ以降も同じことを続けられないのならば〈嘘〉じゃないのか。つま先立ちをしたまま生きてはいけない。言い訳半分にそう言い聞かせていたことが、懐かしい。
当時どのように連作を詠んだのかも、思い出してきた。次席のときの「水と付箋紙」(第51回)も、受賞のときの「空の壁紙」(第54回)も同じ方法だった。
まず、何かふたつの物事を軸として据える。前者なら「水」と「紙」、後者なら「航空」と「デジタル」。両者にほどよい距離や反発があるほうが面白いのかもしれない。磁石のS極とN極がイメージされる。
その磁石を離さぬようにして暮らし、歌を詠む。すると時間はかかるものの、磁石にひっつく歌だけが自然と集まってくる。一方の極の先にひっつく歌もあれば、両極の中ほどに寄った歌もある。磁石本体から少し離れたところに転がっている歌もあるが、それはそれで構わない。50首ほどまとまった段階で応募となる。
歌の並べ方ひとつで作品の印象はがらっと変わる、ということは分かっている。が、50首の並べ方を計算すると65桁の数字になる。「不可思議」を用いて表す必要がある、というところまで調べて、生真面目に取り組むのは諦める。題名についても、あれこれと悩むものの、結局「S極とN極」や「S極のN極」とつける。ほどよい含みのある題名になるのだが、こちらも工夫というよりは、ただの横着と言える。
何かこう主題――ここでは、伝えたいことや物語の筋ぐらいの広い意味――を据えて連作を詠むのはあまり好みではなかった。主題の進行具合や季節、前後の歌との繋がりに制限されて、制作過程も終わりに近づくほど、一首への要求が多くなってくる。結果、〈ひとり題詠〉のようになり、詠むのが苦しくなってくる。その苦しみを安易に「産みの苦しみ」と呼ぶことには、思考停止の色を感じてしまう。
それよりも、S極とN極という副題ふたつを用意して、そこからどんな主題が浮かぶかを楽しみながら歌を詠むほうが、自分らしい歌が詠めるのではないだろうか。当時そこまで考えていたのかは分からない。いずれにせよ、そのようにしか詠めなかった。
歌に現れる語彙や韻律は、誰もが作家の個性だと考える。では、連作の方法はどうだろう。どこか、場面に合わせて簡単に着替えられるもののように考えられてはいないだろうか。試行錯誤は大切であるけれど、他の人の方法に惑わされても仕方ない。「自分にはこうしかできない」という方法と真向かうことが、一番なのかもしれない。
次席のときの選評では、小池光氏から「京都に住んでいて、女性で、若い。いや、中年かもしれない」という声を、河野裕子氏からは「感じのいい歌ですが、迫力がないのね」という声をいただいた。
――なるほど。次に応募するときには、ちゃんと「男性で、中年。いや、若いかもしれない」と分かる連作にすればいいんだ。一にもニにも、迫力を盛り込めばいいんだ。なんと簡単なことなのだろう。
一瞬そう思い、やっぱりそうではないと気がついた。
記名がなければ女性の詠んだ歌にみえ、また、迫力を感じさせないこと。それが自身の作風であり、脱ぎ捨てることのできない個性なのだ。随分と都合のいい解釈かもしれない。けれど、私にはこうしかできない。
退路が断たれたと感じるたびに、このふたつの声に救われてきた。選評会の場にいたわけではないけれど、いつでも両氏の声をこころに響かせることができる。
初出:角川「短歌」 2015年5月号 特集:連作を極める