東京新聞の短歌月評(1月17日夕刊)にて山田航は「大喜利的現代短歌というか、平成狂歌とでも呼べる作風が昨今とみに目立ってきている」と指摘する。例として書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズより歌集を刊行した岡野大嗣・木下龍也・伊舎堂仁が挙げられている。機知に富み、鋭い社会風刺性のある作風の一方で、作者像が結びづらいこと、彼らが先行きのわからない地方都市を基盤としてきたことを共通点とし、山田は次のように結ぶ。
少なくともこの二〇一〇年代においては、権力への風刺の役割を果たせる「大喜利的短歌」の方がずっと社会的に有効だし、人々に求められているリアルな言葉だといえる。そして今、真実を叫ぶときは匿名的文体でなければ危険だという状況が、現代短歌にも確かに反映されている現実を、直視したいと思う。
引き合いは、角川短歌年鑑(平成二十七年版)の座談会「短歌は世代を超えられるかⅡ」の穂村弘発言である。
近代短歌を全然知らない人でも短歌を書く時代になって、大喜利みたいな、その場かぎりの側面が浮上してきて、「これで短歌は保つのか」という危惧がどうしても発生しやすい。この「大喜利みたいな」という見方を辿ると、角川「短歌」二〇一四年九月号「馬場あき子自伝 表現との格闘 第十二回 現代短歌の主流は」に行き着くのだろう。
馬場は、大森静佳・吉田隼人・光森の歌を引いた上で
当たり前のことを言い方によっては、「えっ、そうなんだ」と思わせるテクニックが現代の若い人たちのおもしろがり方になっている。
と述べ、「「私」を表明するため」ではなく、「事柄を提示するため」にアイディアが使用されているとする。それを受けての穂村の発言が「世界をテーマ別に切る大喜利みたいな感じ」である。馬場は、このような歌が溢れれば既視感も多くなり、結果、だれの作品であるかが不明瞭となるとし、
それこそ署名性がなくなっていって、江戸川柳みたいに、平成アイディア短歌とか、そういうのになってくるかもしれないわね
と、消費短歌化の懸念を示した。
大森・吉田の作品世界に「私」の表明はないのだろうか。また、それぞれの新人賞受賞作から引かれた歌を最初に「おもしろが」ったのは「若い人たち」だったろうか、という疑問は残るが、ここでは山田の述べることと、馬場・穂村の述べることに違いがあることを確認したい。
まず、山田は穂村・馬場の対談、および短歌年鑑の特別座談会では挙がっていない岡野・木下・伊舎堂の歌を「大喜利的短歌」の代表的な例として挙げている。馬場の述べる「現代の若い人たち」に彼らが含まれないとは思わない。しかし、大森・吉田の作風が山田の述べる「権力への風刺の役割を果たせる「大喜利的短歌」」にあてはまるとも思えない。また、代表として自ら抽出した岡野・木下・伊舎堂の共通点(地方都市を基盤とすること)を、母集団全体の性質として帰納することはできないだろう。
結果、馬場・穂村の対談における「(既視感による)署名性の喪失」「(江戸川柳に類する)平成アイディア短歌」と、山田の「(真実を叫ぶための)匿名的文体」「(権力への風刺の役割を果たせ、平成狂歌とも言える)大喜利的短歌」は、表面上似たような言葉でありつつ、意味するところは異なっている。
総合誌の特集や時評を読むとき、読者としてはいつだって成程と膝を打ちたい。ある状況を示す摑みのよい言葉が、鮮やかに地平を拓くことがある。その一方で、私達にはざぶとん一枚を運ぶ時間もある。言葉の意味を都度振り返り、整理しながら議論を発展させていきたい。
私には「平成アイディア短歌」も「平成狂歌」も、「平成」を冠することが興味深く思えた。単に江戸川柳という名称になぞらえただけではなく、時代の変化とともにいつかは終わる一過性のものだという意識を感じる。
岡野大嗣の『サイレンと犀』、木下龍也の『つむじ風、ここにあります』のあとがきには編集者や監修者への謝辞がなかった。謝辞ぐらいは書いたほうが、という声もあろうが、最後まで読者のための一冊にしたかったという強い意志を感じた。あとがきの後におまけマンガが続く伊舎堂仁の『トントングラム』も同様だろう。彼らの掌編のようなあとがきは、いずれも遺書のように美しい。
例えば、昨年九月に刊行された服部真里子の『行け広野へと』のあとがきは「これは私の第一歌集です。」に始まる。収録数や掲載順への言及に、謝辞。オーソドックスではあるが、そのしきたり的なあり方が、読者を歌集の世界からやさしく現実に導く。どこか第二歌集のまえがきのように感じられ、清々しい。
しかし、あとがきの書き方が歌人のその後を占うことは決してない。確かなのは、上梓された一冊が単なる「歌集」だったのか、それとも「第一歌集」だったのかは、時間が決めるということだけだ。
平成は江戸ほど長くは続かない。歌人がじっくりと歌集を重ねていくなかで浮かび上がる変化や、明瞭化する作者像もあるだろう。残念ながら、それを気長に待つということが、いま最も難しいのかもしれない。
穂村が述べた「「これで短歌は保つのか」という危惧」は、連綿と続いてきた短歌の作品面への危惧である。一方、過去二回の時評で、歌集出版や結社、インターネットの現状に触れてきた通り、短歌の世界の構造面においても〈「これで短歌は保つのか」という危惧〉がある。
万葉の時代から、あなたや私が生きる現代までの一切の歌が読まれなくなっても構わない。ただしそれは、短歌の衰滅した結果ではなく、短歌の世界のしなやかな構造変化が産み落とす、遠い未来の輝くような歌のためであって欲しい。
初出:「短歌研究」 2015年4月号 歌壇時評