なかったけれどあった歌 ――あまねそう歌集『2月31日の空』評

ミニチュア模型を眺めるのが好きな人は多いだろう。最近では食品玩具として模型店でなくても購入することができる。昭和の商店街や、キッチンセットなど幅広いシリーズが販売されているが、眺めているときに共通して浮かぶ感情は、〈郷愁〉ではないかと思う。

ムカデ走練習あとの静けさやスローガン書く生徒会長

いつも暗き神社の角のアパートに話しちゃいけないおじさんが住む

昼休み遊ぶことなく給食の延長戦にひとりで挑む

人気(ひとけ)なき国道沿いのレストラン[CLOSED]の文字うすれるばかり

右にあげた四首にも同様の郷愁が漂っていて、心にすんと沁みるものがある。短歌の限られた文字数に対して、各首に込められた情報量が多いため、ミニチュア同様ぎゅっと圧縮された印象があり、世界の隅々まで見えるような感じがする。その一方で、あるいは、その結果として細部はミニチュアに添えられた人物模型のようにのっぺらぼうだ。真面目な生徒会長、怪しげなおじさん、食べるのが遅い生徒、寂れたレストラン――誰の記憶にも確かにあるこれらの物を鍵として、読み手は歌の世界の扉を開くことができる。

しかし、扉の先に広がるものは〈あまねそうの歌の世界〉であり、〈読み手の記憶の世界〉ではないと誰が言い切れるだろうか。掲出歌が良質な郷愁の込められた魅力的な歌であることは、間違いない。ただ、その郷愁の出処はどこなのか、という疑問が私には浮かんでしまうのだ。

一方、次にあげる歌にはそのような疑問は浮かばなかった。

猛烈な台風でケガをした人をどこかで誰かが数えているよ

たいていは忘れてしまう ビルの間に割れた水そうあったことなど

白色に濃さのあること思いつつ牛乳を飲む 雨の降る朝

旅行用歯みがきの味やや甘くたぶんうちより水が冷たい

ニュース番組やラジオで台風情報とともに報告される負傷者の数。今思えば、確かにその数を集計していた者が、社会という私達を包む仕組みのどこかにいたはずである。ビル間の割れた水槽は、私の記憶にはない。ただ「ナンダロウコレハ」と心に留めつつも、世界が答えを与えてくれなかったようなことは限りなくあった。私達は余ってしまった問いを忘れることで解決してきた。牛乳の白色は絵の具や蠟燭のそれとは確かに異なる。「確かに異なっていた」ではなく、それに気がつけなかった私が「今、異ならせる」のだ。旅行の滞在先の蛇口の水温も同じだ。異なっていたはずだが、私には気付けなかった。それが歌を読んだ今、異なりはじめるのである。

先の四首が「あったあった」と膝を打つ歌である一方で、次にあげた四首は、過去を現在のように生き直すことができ、新鮮な体験として読み手に立ち現れる。いわば、〈なかったけれどあった歌〉だと言える。

作者あまねそうの発見という鍵によって開かれた扉が導くのは、当然〈あまねそうの歌の世界〉である。負傷者を数える社会という存在、こころに浮かんだ疑問が都合よく解決するとは限らない、不調和に満ちた世界という存在。歌の世界に入って、手足を動かして体験できるということ。いずれも、ミニチュア模型では表現できないものだろう。それゆえ、〈なかったけれどあった歌〉は郷愁に留まることない秀歌となりえている。

本歌集のあとがきに、作者が少年時代を詠む理由が書かれている。読み手の視点で考えてみると、〈読み手の記憶の世界〉に結びつく〈あったあった歌〉には、このような理由付けが必要だったように感じる。あとがきによって、〈読み手の記憶の世界〉ではなく〈あまねそうの歌の世界〉であると註するわけである。一方、読み手を作者自身の世界へと自律的に誘う〈なかったけれどあった歌〉にとっては、多少過剰なあとがきであっただろうか。もっとも、この点は読み手ごとに感じ方は異なるかもしれない。いずれにせよ、作者にとっては、あとがきは歌を続けていくためのひとつの区切りの意味合いが強いのだろう。巻末近くにある次の歌では、あまねそうが「併走少年」と呼ぶ少年時代の自身との訣別が詠まれている。

青空を絞ったように汗をかく少年 僕を追い越してゆく

巻頭歌「てつぼうに手のとどかない子のために広がっている青空がある」においてまだ背丈の低かった幼な子が、ここでは青空の喩でもって青空と同化している。読み手としても、ひとつの成長を確かに見届けた喜びと、ほんのすこしのさみしさを感じる。歌を続けていくなかで〈なかったけれどあった歌〉が浮かんだら、作者から「併走少年」への(あるいはその逆の)手紙として、そっと歌集に足してもいいのではないか。電子書籍として世に出た本歌集『2月31日の空』には、その自由が拓かれているのだから。

皆誰かを記憶の中に探しおり蝉しぐれとは晩夏の脳波

 

初出:「かばん」 2013年12月号