寺山修司とわたし

間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子  『田園に死す』

俳句、短歌、演劇と駆け抜けた寺山修司を〈永遠の転校生〉のように感じてきた。「短歌ってのは回帰的な自己肯定性が鼻についてくる」という言葉には、短歌から転校して行った者だけが吹かせられる風がある。

昨年発見された書簡で、寺山が塚本邦雄に歌集『田園に死す』のタイトルを相談していたことが分かった。「この中から決めて下さい」として寺山があげたタイトルは以下の八つである。「恐山」「恐山(青年時代)」「日本なればこそ(Only in j(ママ)apan)」「自伝の曠野」「田園に死す」「修羅、わが愛」「眞夜中の自叙傅」「故郷喪失」。どう考えても「田園に死す」だと思えるのは、結果を知っているからだろうか。「恐山」という言葉が最初の二案に使われているところに、彼のこだわりが見える。歌集『恐山』と歌集『田園に死す』。その差は、寺山の短歌研究五十首詠応募作「父還せ」と、それを中井英夫が改題した「チェホフ祭」の差と遠く響き合っている。

「恐山」「父還せ」というタイトルからは、どこか虚構が虚構で済まない凄みが滲んでしまっているように思われる。「ノンフィクション」を謳う映画や小説がまとう事実であることの効用、その真逆のものが寺山の世界には必要であった。生きているのだから田園で死んではいないし、チェホフ祭のビラは、どこか演劇の小道具じみている。それゆえ、寺山作品のタイトルになり得た。

掲出歌では「地獄」の一語が、虚構という劇場の天蓋を支える柱となっている。その分かりやすさにおいていかにも寺山修司らしい一首として、ながく愛誦してきた。

さて、タイトル候補の「故郷喪失」は、中城ふみ子の『乳房喪失』を下敷きにした冗談だろうか。ただ、これも中井英夫が考えたタイトルだということを思えば、冗談のうしろに透けて見えるものがある。岡井隆が「寺山氏の作品のタイトルは、しばしば稚拙であった」(「寺山修司覚書―「血と麦」から「田園に死す」へ」)と述べているが、そのようなカッコ悪さは、あざやかな転校生像とは対極にあるように思われる。歌を続けることで、もっと様々なカッコ悪さを私たちに見せて欲しかった。

卒業式のないこの短歌の世界。歌を詠み続けることで、「回帰的な自己肯定性」は克服できないのだろうか。ふと、本当は彼は転校したのではなく、短歌に間引かれて一生欠席していただけだという思いが生じる。いずれにせよ、寺山がしなかった宿題は、私たちの宿題である。

 

初出:「短歌研究」 2013年6月号 企画「寺山修司とわたし」