今年は「待望の」と呼ばれる若手の第一歌集が数多く出た。内山晶太の『窓、その他』もその一冊であるだろう。だが、この歌集を満たす寂しさを、誰が待望し切れただろうか。
本歌集には、若くして短歌現代新人賞を受賞した作者の、二十代半ばからの十年間が収められている。混沌のままに提示されがちな年代が、清らかな上澄みと、苦味の効いた澱とに凝縮されて掬い取られている。
麒麟二匹やさしかりけり中空にひとつひとつの脳を捧げて
藤の花に和菓子の匂いあることを肺胞ふかく知らしめてゆく
昼といえどうすぐらき部屋のひとところ泉に出遭うごとき窓あり
「上澄み」の歌である。脳や肺胞、泉という比喩など、見えないものを梯子として、空間の豊かさに確かに手が届いている。
湯船ふかくに身をしずめおりこのからだハバロフスクにゆくこともなし
中空をさまざまの鳩さまよえり羽ひらくとき飛ぶほかになく
落ちていたひよこのぬいぐるみを拾いそれのみに充ちてゆく私生活
「澱」と呼べる歌である。
歳月の経過とは、極東のようなわざわざ行く場所が減っていくことに他ならない。気付けば手段は目的化し、飛ぶのための翼は、翼ゆえの飛翔となる。ものを拾ったのは、生活の全てではなく、一部を充たすつもりではなかったか。
もしかすると、掲出の六首は、「上澄み」と「澱」のどちらにでも当てはまるのかもしれない。そのことに気付くとき、この歌集は最も寂しく、最も美しいものとなる。
初出:「うた新聞」 2012年12月号
『窓、その他』内山晶太(2012年:六花書林)
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