ドイツの珈琲

うるほへる瞳のごとき珈琲で事足る日々をただひとりゐる

『鈴を産むひばり』

七年にも及ぶ大学生生活の長い空腹を、珈琲でごまかしながら過ごした。煎った豆をお菓子として齧ったりもしたが、珈琲それ自体を食べるように飲んでいた。自らの歌を振り返ると珈琲の歌が多い。

ドイツに滞在していた頃、ホストファミー宅には、いつでもたっぷりの珈琲が用意されていた。ドイツ人はビールばかり飲んでいる印象があるが、嗜好品の消費量は珈琲が一位となる。映画「バグダッド・カフェ」にアメリカを旅行するドイツ婦人が登場するが、荷物の一つが珈琲を入れた大きなポットであったことを思うと、なるほどと思う。そのポットの珈琲をアメリカ人が飲み、とても飲めたものじゃない、という反応を見せる場面がある。アメリカの薄い珈琲のその薄さの対局に、ドイツのひどく濃い珈琲があるのだろう。

斎藤茂吉はドイツ滞在時を振り返って次のように書いている。

私は媼のところに世話になるやうになつてから、朝食を毎朝媼のところでした。黒麺麭(パン)を厚く切りそれに牛酪(バタ)とジヤムとを塗つて、半々(はんはん)ぐらゐの珈琲(コーヒー)を一(わん)飲ませた。

斎藤茂吉「日本媼」一九二九年

茂吉が毎日飲んだ珈琲もきっと濃かっただろうと思うと、珈琲を介して繋がっているようで嬉しくなる。

滞在先の珈琲は昼前には酸っぱくなっていたが、誰もが気にせず飲んだ。プレッツェルという塩味のパン、ひまわりの種が入ったパン、種類の多いドイツのパンと煮詰まった珈琲との相性は良かった。

明るく清潔なキッチンで遅い朝食を摂っていると、シンバという名の白い大型犬が、尻尾を振って寄ってくる。庭へと続く扉を開けてやると、元気よく飛び出していく。広い庭のどこかから馬の嘶きが聞こえ、窓にはかげろうの抜け殻が透けている。皆どこかに出かけているから、残りの珈琲は私のものだ。

何をしても、何をしなくてもよい日々の中で、私はほつりほつりと短歌を詠んだ。

 

初出:「梧葉」 2012年 35号 秋号 食のうた